神がいるなら、どうしてこんなことが?

 

多くの人が神さまを信じない理由と言っているある大きな疑問。
 
「神さまがいるならどうして、この世界にはこんなにたくさんの痛ましいひどいことがあるの?」
 
どうして、地上には、飢餓、戦争、不正や不平等、殺人や虐待など、辛く悲しむべきことがたくさんあるのでしょうか。

自分なりに結論はずっとあったけど、
それを表現して、今痛みを覚えている方の心に届くのか、
疑問があり、そのままにしていたのですが、
やっと重い腰を上げてみました。


まず、何よりも、心に痛み・苦しみ・悲しみを抱えている方々に、
その方々を愛してくださっている神さまからの深い慰めがありますように、
心から祈ります。


その祈り心をもって、書き始めてみます。

私たちは神のかたちに似せて創られたすばらしい存在
だと前に書きました。
神さまは、自由な意思を持っておられます。
ということは、神さまは、私たちにも自由な意思を持つことをゆるしておられます。
 
つまり、私たちが、間違った方向に行くかもしれなくても、自由に意思をもって選び取ることができるようにされた。
そして、人間は、残念ながら、神さまから離れて好きなように生きてしまって、この世界はひどい状態になっています。
 
それは神を信じていないから、とは言いきれません。
実は、神を信じているはずのクリスチャンだって、案外そうであることが多いです。
 
神さまを信じている、キリストの十字架の救いを信じている、と言いながら、
キリストが生きたように生きることなく、
神さまではなく自分勝手な欲望に従って、
金銭至上主義だったり弱肉強食だったり、この世の罪にまみれた間違った価値観で生きている。
 
もしそうだとしたら、知らないで罪をおかすよりひどいことです。
 
それで、聖書に書いてある通りのことが起こってしまっているのです。
 

「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。
あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。
あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。
うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。」
(ヤコブ4:12
 

 
神さまは一瞬で罪ある人たちを裁くことができます。
確かに、すべての罪が神さまの前には隠されることはなく、時に叶ってそのすべてに神さまはさばきを与えられます。
この世のいのちが終わる時か、この世すべての終わりが来る時か、
どちらが先かわかりませんが、その時は、必ず来ます。

キリストがもう一度この地上に来られる時、すべての人は神の御前に立ち、
すべての人の救いと裁きがなされ、
その後には、死も、罪も、悪も、あらゆる不正、不平等も、病も、
私たちを苦しめたすべてのものは何一つない、
想像もつかないような新しい天と地が創られます。
 
ただし、聖なる神さまの前に、自分自身は全く罪などない存在として、果たして立ちおおせるのでしょうか。
 
心の中に妬みがありませんか。
 
人によってエコひいきしたり見下したりしていませんか。
 
小さな不正はひとかけらもありませんか。
 
 
 

罪には刑罰が伴います。
 
神の前に聖なる存在として立ちおおせる人は、どんなに聖く生きる人でも、ひとりもいません。
 
でも、神はひとりとして滅びてほしくない、と願ったからこそ
ひとり子であるキリストを十字架にかけ、人類すべての罪の罰を既にその身に負わせたのです。
そのキリストの十字架による身代わりの死と復活を信じるだけで救われるのです。

 
そんなことだけで救われるなんて、という方がいらっしゃるでしょうか。
キリストの救いを信じる、というのは簡単なことではありません。
 
自分自身の良い行ないや悟りで勝ち取れる、などという愚かな自分の罪にまみれたプライドを捨てなければなりません。
それがとても難しいことであるのは、身の周りにどれだけクリスチャン(キリスト教徒)が少ないかを見れば、歴然とわかるでしょう。
 
でも、神さまは私たちが罪をおかしたとたんこの世から消し去って裁くのではなく、忍耐して、
自らの意思で神を選び取ること、
信じて救われ、神に導かれる人生を生きることを待っておられるのです。
 

「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。
かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、
すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」

(ペテロII 39節)
 
  

また、私たちは知らず知らずのうちに、多くの罪をおかしています。
   
たとえば、世界には飢餓にならないだけの十分の食料があります。
にも関わらず、多くの発展途上国において、飢えや栄養失調で命を落とす人たちがいます。
 
なぜでしょうか。
 
実は世界の多くの食料は、この日本に過剰に輸入され、
私たちの身近で、あるいは私たちの飽和した生活スタイルのゆえに、無駄に捨てられています。
私たちは、間接的に、その人たちの死に関わっている、と言えるのです。
 
神が悪いのではなく、この地上で間違った生き方をしている人間が悪いのです。
 
でも、私たちは世界大ですべてを見通すことができないので、
そのように、無意識的に他の人に害を与えてしまうことが多いのです。
 
「神がいるならどうして」と言う時、果たして私たちは、
神よりも世界全体で起こっていることが見えているでしょうか。
 
神以上に、正しい者でしょうか。
 
神よりも、より大切なことを知っているのでしょうか。
 
 
アフリカの貧しい人たちや、寿町のホームレスの人たちとふれあう中で、確実に言えたこと。
 
彼らは、地上の価値観においては飢え渇きや足りないものがたくさんあるけど、
お金持ちでも多くの人が持っていない心の豊かさを持っていた。
 
そして彼らの多くが、何よりも大切な、朽ちることのない永遠のいのち、イエスキリストを持っていた、ということです。
 
   
 
自らが神であるかのように、神や他人、この世を裁くのではなく、、
神はいない、と自らの悲しみだけを見つめてしまうのでもなく、
 
何よりもまず、
十字架にかかって罪の罰を負い、私たちに救いへの道を開かれた、神の御子イエスキリストに目を向けてみませんか。
 
私たちは神ではなく人間なので、この地上に起こるすべてのことの意味を知ることはできません。
 
でも、この愛そのものである神との交わりを持ち続ける時、
すべてのことの意味を知ることはできないけど、

ホンモノの神の御手にあって、
必ずそのひどいことを通しても、それ以上に素晴らしいことが、
世界大で、永遠の視点で、起こっていると信じ、平安を注がれながら、
まず自分自身の生きざまを整えていける。
 

そして、そのひとつひとつ、一人ひとりが自分自身の生きざまを整えていく時、
世界が少しずつ、でも確かに良いほうへと変わっていく。


そうであったらいいな、と想います。

 

このページを読んで下さった方の内にも今、深い痛み、悲しみがあるかもしれません。

どうかお一人ひとりがの上に、神さまからの深い慰めと温かい愛の御手の導きがあって、
永遠の神の視点から、今ある苦しみの解放が与えられますように、
心からお祈りしています。

 

悩めるこひつじへ戻る

Hearty Partyのホームページ

inserted by FC2 system