主の歩まれた道を



仕事をして自分で生きていけるのが 幸せだと思っていました
でも 福音の力が人を全く新しく変えるのを見て
「この福音を届けるために人生を用いよう!」と願って踏み出してきました
 

生活のめどが立たなくても 明日を思い煩わないということが
こんなにも困難だなんて 知りませんでした
それまでは 多くのこの世のもので我が身を守りながら
実体の伴わない信仰を語っていたのだ と
神さまにしか依り頼めなくなって 初めてわかりました
 

健康でいることなんて 当たり前のように思っていました
病気になることが 自分だけでなく いろんな人たちにも迷惑をかけてしまうのは
本当に苦しくて「なぜですか」と何度も祈りました
 
神であるイエスさまが無力な赤ちゃんにまでなって 多くの人たちに依存しなければ
生きていけなかったとは どんなにか辛かったことでしょう
それまで考えてもみなかった イエスさまの痛みに 気づかされました
 

癒しの願いは聞かれませんでしたが 主は 温かく助けてくれる友を与えてくれました
キリストご自身は 孤独の極みに その身をおかれたというのに
 
悩み苦しむ日には ずっと共にいて 耳を傾けてくれる友
独りで祈ってても心乱れる時は 執り成し祈ってくれる友
人を通して苦しんでるのに そこから助けてくれるのも また人で
神さまが 私たちを 主にあって『助けあう』よう創られた その奥深さを知りました
 
 

私は 思っていたより傲慢で 恵みに鈍感でした
まだまだこれから何度でも思い知らされるでしょうが
弱さと涙によって イエスさまの歩まれた道を知っていけるのなら
そして キリストの圧倒的な勝利の力を味わっていけるのなら
神さま これほど素晴らしい祝福はないのですね
私は今 一番幸せです  そして これからは きっと もっと
 


神さま この学園でのすべてを ありがとうございました
 
学園の皆様 ありがとうございました
 
どうか弱さをその身に負われた贖い主イエスキリストの福音が 学園の真実であり続けますように!
 
 
 
(東京キリスト教学園2004年度卒業文集「ぶどうえん」に掲載)
 

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