献身の証

 

 私が献身について真剣に考え始めたのは会社員3年目、私が必死に競争社会を走りぬこうとしつつも 心の渇きを意識し始めた頃でした。
私は、自分ではなく 直接主に栄光を返す仕事をしたいと願い、会社員以外の道を祈り始めましたが、神学校へ行く事と牧師になる事だけは絶対に嫌でした。
私は牧師にはふさわしくない。それに、学びや仕事に追われる事によって 唯一信頼しきってきた神様との人格的な交わりができなくなったら、もはや私は生きていくことができないだろう。そのような恐れがあったからです。
臨床心理士(カウンセラー)・福音喫茶などを想い描いたり、翻訳の勉強をしてみたりもしましたが、賜物の違いを感じ、また自分だけの想いであって私の主である神さまの想いとは違うようにも感じて、更に祈らされました。

 そんなある日、会社の帰り道にたくさんのホームレスの方がいる地下道を見つけました。
気になりつつも声を掛ける事も何もできなかった私でしたが、 やがて「受けるよりも与えるほうが幸いである」という聖書の御言葉を通して、彼らとのクリスマス会のビジョンを主から示されました。
勇気と時間・体力・資金、働き手・受け皿となる協力教会・・・主がすべての必要を満たし、御手のうちに素晴らしい計画を進めて下さるのは感動的でした。
その後、クリスマス会の参加者の中で、イエスキリストを信じて救われ、証し人として劇的に生き生きと生まれ変わった方も現れました。

 伝道の御業を成し遂げられるのは主ご自身であって、私はただ心を明け渡し、主の命令に従うだけなんだ、とわかったその時、この御言葉が心を刺し通しました。

「こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、
それはその人の罪です。」 (ヤコブ4.17)

 主は、このクリスマスをきっかけに、偉大なる御力を現した後、 神学校に行く事・伝道者になる事は良い事と知りながら拒み続けてきた私へ、絶対的な命令とも言える御言葉をもって語られました。
主に連なり、生かされてきた身なのだから、豊かな実を結ぶため ただ主に従おう。そう決心しました。
 道が示されたかと思うと、家族の猛反対や仕事の状況によって閉ざされ、 閉ざされたかと思うと、働きつつJTJ宣教神学校で学べる道が開かれました。
そしてこの形の献身のまま進んで良いのかと思いきや、2日連続で示される数々の御言葉とJTJの授業を通して更なる献身へと導かれ…
その2年間の間に、神さまご自身が家族の理解を与え、退職できる仕事の環境を整えて下さり、共立で宣教学を学ぶ道へと踏み出させて下さいました。
瞬く間に、とても密度が濃くドラマティックな展開が、神ご自身によって私の人生になされていきました。

 でもこの先に主が私のために用意して下さっている道は、もっともっとドラマティックなのかもしれません。
心の想いもすべてを主に委ね、大いに期待して、新たな一歩も踏み出したいものです。
聖霊に満たされて、目の前に示される小さな事にも忠実に仕えられるように、 また主が遣わされるどこへでも行き、福音を語る者とさせて頂けるよう、祈りつつ。

 

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