受験戦争とリストラの社会で

 

私の姉は頭もよく、運動神経もよく、真面目かつ快活な姉は、先生にも友達にも評判がよかった。
おかげで、私が中学に入学するといろんな人に
「お前の姉ちゃんは頭が良くて・・・」
「お前の姉ちゃんは運動神経が良くて・・・」
「お前の姉ちゃんはマジメで・・・」
と言われるはめになってしまった。

学校には遅刻してくるし、授業中も眠ってばかりの私は、
何一つ先生たちから姉よりよく評価してもらえることがなく、
「それなのにお前は・・・」という心の声が続いて聞こえ、とても嫌な気分だった。

親の望む価値観にもはまれず 学校でも家でも居場所のなかった私が、一発逆転を狙ったのが高校受験。
姉は近所の補習塾に通い、第一志望の都立A高校に受かった。
「この先も比較されつづけるのはまっぴらだ。私は都立ではなく、国立かもっといい私立に行こう。」
そう考えて、中2から進学塾に通い始めた。

中3になると、塾のクラスは21クラスにわかれ、数ヶ月ごとの大きなテストで私たちは成績順に並べられた。
猛勉強のおかげで夏の終わりには一番上のクラスに入れた。

あの頃の私は、他人に認められるためには一番いい高校へ行かなければ、と考えていた。
勉強していないと不安で、勉強以外の時間はほとんど食べる時と眠る時くらいだった。
神様を信じていたけど、自分の願望を押し付ける
「第一志望の高校に、それがだめなら少なくとも第二志望には受かりますように。」
というような お祈りしかしなかった。
それよりは 模試で全部の学校に「合格確実」と書かれるその言葉を信じたくて、
枕元に優秀な成績の模試を並べて眠ったこともあった。

だけど、そんな私が行くことになったのは、想像したこともなかった第4希望の都立T高校だった。
絶望した私がマンションの窓から飛び降りようとしたその時
「神様があなたに与えた尊い生命を捨ててはいけないよ」という教会学校のメッセージを思い出した。
もしそうでなければ、今私はここに生きてはいなかったのだけれど・・・

 

私に最も必要だったのは、学力の一番いい学校に行く事=最高の幸せ、ではない、と知る事でした。
残念ながら、私の生きてきた最初の15年間ではそれがわかりませんでした。

でも果たしてT高校って、絶望して死ななければならないほど、ひどくどうしようもない学校だったのでしょうか。
T高校がどんなに素晴らしい学校か、後輩の乙武くんが書いた「五体不満足」を読めばありありと伝わる事でしょう。
当時の私は 国立より学力レベルが下のT高校を受け入れられませんでしたが、
今でこそ「最高の学校だった!」と心から言えます。
そしてこの学校だったからこそ、今のこの私があるんだ、と。

 

ある中学受験の進学塾では、成績順で座席が決められます。
一番上のクラスにいったある小6の子は、下に落ちるのが恐くて夜も眠れなくなったそうです。
そんなに優秀でも、不眠に悩むほど苦しんでいる小学生もいるのです。

 

受験に翻弄され、勉強がすべてではない事・自分の賜物・自分にとっての最高の人生というものを知らないまま、
自らの生きる価値を否定して生命を絶ってしまう子がいます。
いえ、子供だけでなく大人も同じように、他人から認められる事、仕事において有能である事に翻弄され、
リストラで会社から酷い仕打ちを受けて、絶望の淵にいる人が多いのです。

 

「一つのからだには多くの器官があって、すべてに器官が同じ働きはしないのと同じように・・・
私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っている・・・」(ローマ 12:4〜6)

 

神様は、私たちに生まれつきのそれぞれ異なった賜物をお与えになっています。

個々人の魂の存在価値がさげすまれつつある、この病んだ現代。
どうか、私たちがこの世の価値観に飲み込まれずに、私たちの賜物を尊んで下さる主のまなざしに焦点をあわせていけますように。

 

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