☆☆ できないことが多いけど ☆☆

 

ある冬の土曜の朝、一度は路傍伝道に行ってみたい、と思って、車で寿町へ行きました。
教会は、寿町の中でもはじっこの方、アオカンする人がたまるような通りではないのですが
路傍伝道は、センター(福祉事務所)の広場なので、まさに寿町のド真ん中。
薄暗い闇の中、朝だというのに、たくさんの人が歩いていて、
誰もが見慣れない異様な女(=はーちゃん)に注目しています。視線が痛い…
緊張しつつ、センターへ向かう途中、嘔吐物か排泄物かわからないような液体が目に入りました。
よく見ると、そばにある毛布がかすかに膨らんでいました。誰かが寝ているのでしょう。
その人は倒れているのだろうか。声をかけてあげるべきじゃないのか。
そう思いつつも、よく分からない恐怖で、私は目をそらして センターへ向かっていました。

ここに来ていても 何もできない自分が恥ずかしくなりました。
私はやっぱりただの 自己満足な偽善者?

帰りにそこをみると、毛布はなく、液体だけがそこに残っていました。
その人が病気でないらしい事にほっとしましたが・・・

こんなふうに、自分の愛のなさを痛感する時があります。これからもあるでしょう。
でも、できないことは多くても、罪悪感から逃れるためにそこから逃げ出すのではなく
できない自分の弱さも認めつつ、できる限りをせいいっぱいつくして、
ただ彼らと共に居続けられれば、それでいいのかもしれない。

人間はどんなに善人にみえても、みんな心に罪をもっている。
完全な愛をつくせるのは、神様しかいない。
そのことを認めないと、どんな事をしていても行き詰まってしまうはずだから
ただ、完全な愛の持ち主である聖霊で満たし、その愛を与えて下さる方に
祈り続けて歩むことが、私の望みです。

 

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