☆☆ コトブキらしい光景 ☆☆

ある月初めの日、教会へ行ったら、やたらがらーんとしていてびっくり。
「今日来ている人は、本当にイエス様を信じているか、信じたいと思っている方だけでしょう」
ある兄弟の言葉で、その日は生活保護の対象者が、お金を手に入れて
食生活の不安がない日なんだ、と知りました。

そういえば「仕事を手にしたり、生活保護の対象になれると、教会を離れる人が多いんだ」
「昼の路傍伝道では、酒やたばこ片手に がやがやしてて・・・」
「こういう所で、あぁやっぱりコトブキらしいや、って思ってしまう」とぼやく兄弟もいたっけ。
それは確かにコトブキの現実の一面。

でも、神様を信じたと言っても、自分の心の渇きが満たされると 神様から離れていくのは、コトブキだけじゃない。
神の御前に集う人が、それにふさわしくない行いをしているのも、
見かけの形が違うだけで 実は、教会に集う誰もが 身近に見ている光景なのでは?

それよりは、「ハレルヤ」「アーメン」という言葉が、意味は良く分からなくても
当たり前のように、みんなの挨拶として交わされているのも
牧師が、路上に立ってるだけですぐ相談を持ち掛けられるのも
みーんな、広いこの日本の中でここくらいのものかな、って思う。

私は、特にそういうところにコトブキらしさを感じて、
「やっぱりここは喜び溢れる町として、神様がコトブキと名づけてくれた町なんだ」と感じます。

 

 NEXT(限りない愛を注がれて)

寿の風景画へ戻る

inserted by FC2 system