神様を信じてますか?

 

「あなたは神様を信じてる?」と聞かれた事があるでしょうか。

この「神様を信じる」って一体どういうことなんでしょ?
ちょっと 一緒に 考えてみませんか。

 

私は 小さい頃から教会には 行ってた。
当時は 何か信じてたから行ってたわけじゃなく、自分の存在を受け入れてくれる場所だったから 行ってただけ・・・
でも、「神様を信じてる?」と聞かれたら、いつも「うん」と答えてた。

神様がいる、ということは、ちゃんと 信じてたから。

学校で教えられる進化論。それは確かにもっともらしかったけど、最初は何から始まったのか 結局証明できない。
何もないところから突然命ははじまらないし、突然水晶体とかが現れるとしたらその途中経過って?

だから「神様がいる」「神様が私たち人間を創ってくれたんだ」って方がより自然に信じることができた。

 

さて、でももうちょっと大人になってから、キリスト教の教会で
「神様を信じてる?」って聞かれるときは、存在だけ聞かれてるんじゃないんだって気がついた。

それは、神様が自分を個人的に愛してくれてる、そのことを信じてるかってこと。

神様とは どういう方かという 奥深い質問だったみたい。
そして、もっと言えば、「イエス様を信じてる?」って聞かれるときは、更にその意味が強くて・・・

イエス様が「自分の罪の身代わりになって 十字架にかかって死んでくださった」
という究極の無条件の愛を 自分に注いでくれたって信じてるかを、聞かれてるんだよね。

 

私が その意味で イエス様を信じたのは、たぶん 高校1年の時。
神様が私のために用意してくれてた高校生活は、
私が思い描いてた「一番優秀な学校」と「賢い友達」という誰の目にもに理想的に見えるものじゃなくて、
「個性を尊重する事について最高級(だけど大学受験対策は個人任せ?)の学校」と「人生の苦しみを知ってて 他人の心の痛みを分かち合える友達」という、想像しなかったけど 私が心の底で求めていた 私にぴったりのものだった、と気づいた時から。

神様の愛がわかって、神様のことが大好きになった時から、神様の事を知ろうとするようになった。
そうするうちに、自分の中の たくさんの罪にも気がついて、やっと 教会の上に立っている十字架の意味がわかりました。
あの十字架が 罪にまみれた私のための救いと神の愛のしるしなんだ、ってことが。

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれももっていません。」(ヨハネ 15章13節)

 

全知全能の神、なんて口先で言っても、私は 長い間 その言葉の本当の意味は信じていなかったようで、
自分の知識の小さな枠の中に 神様の偉大さを押しこめてしまってた。

でも、ほんとに 神様は、なんでも知ってるんです。
見かけはいい人を繕っても、ほんとは 憎しみや妬み、虚栄心でいっぱいの こんな私の心の中すべてを。
神様に 言い訳したり、体裁を保つ事ほど、意味のない事ってないんですよね。

ほんとに 神様は、なんでもできるんです。
私が 自分勝手な思いで願うのでなければ、ただ信じれば 山でさえも動くんだって、本当には 信じてなかった。
人間の頭のレベルで考えて、ぴんとこないことを ただ信じたり できてなかった。でも
「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(マルコ 11章24節)
と言って下さったその言葉を、本当に信じきれた時から、私の人生はすごくラクになりました。

だって、いろいろ私が心配しなくても、祈ったものはやがて与えられるか、
私の想像と違う形であっても、最高のものが用意されてるんだから。
大変な時も、マラソンでゴールが見えてきた時のように
苦しくても 安らぎを持っていられるような・・・

そう、それに、ほんとに 神様は、私たちを無条件で愛してくれるんです。
心が伴わない
見せかけだけの、周りの人に求められる 良い行ないをしても 意味がない。
それどころか、神様が無条件で愛して下さった、という素晴らしい福音を、恵みのない信仰生活に塗りかえる罪になっちゃうかも。

行ないってのは、神様と隣人への愛があれば 自然についてくるもの。
できない時は、「クリスチャンなんだから、これくらいのいいことはしなきゃ。」じゃなくって、
自分には愛と信仰が足りないんだって気づいて、「神様を信じる」原点に
返るのが正解なんだよね。

クリスチャン生活が続くと、人間誰しも そんな当たり前の「信じる」事を忘れて、心が渇いてしまう時があるのではないでしょうか。

何か一つでも、神様が自分の個人的な事に関わってくれた経験、神様が自分のために良くして下さった経験を、しっかりと握り締めて、
どんな時も同じように自分と一緒にいてくださる神様を信じて、心に平安をもって頼っていきたいですね。

そしたら、もっともっとラクな人生になるはず。
わたしも、もっともっと神様を信じられるようになりたいな、と思ってます。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

主は、あなたのすべての咎を赦し、
あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、
あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。」

(詩篇 103章2〜5節)

ところで、あなたは そんな神様を 信じてますか?

 

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